劇団四季 この生命誰のもの
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●ストーリー(ネタバレあり)
ある病院の個室に早田健(味方隆司)が寝ている。彼は半年前に交通事故にあって脊髄を損傷して首から下が麻痺し、指一本動かすどころか感覚もない。残されたのは考えることと話すことだけ。彫刻家で鋭い感性と明晰な頭脳を持つ彼にとってそれは耐え難いものだった。そんな早田は担当医の北原(都築香弥子)や、婦長(佐藤夏木)や看護学生の里村恵子(上領幸子)に皮肉や自嘲たっぷりの会話でちょっと困らせたりもしている。
主治医の江間博士(志村要)は、精神安定剤であるトランキライザーを服用するように言うが、それを拒むと、強制的に注射してしまう。考えることと話すことしか残されていない早田にとって精神安定剤の投与はその両方がなくなること、すなわち自分が自分でなくなることなのだ。
北原は、江間博士の治療方針に同調しながらも、早田の「人間には自分の意思で行動を決定する権利がある」という主張が心に残って仕方がない。
早田は次第に機械のように生かされることより、人間らしく死ぬことを考えはじめる。回りはこうなってもできることがあると言い、江間博士はケースワーカーの権堂(はにめあゆみ)を呼ぶ。早田が負の言葉を発するとみんな聴かなかったことにして話を変えてしまう。それはある種のセオリーだ。しかし早田はそんな押しつけのカウンセリングに業を煮やし、啖呵を切ってしまう。
早田は婦長に弁護士を呼ぶようにお願いをする。今後お金が必要だから保証金のことで相談したいと。後日弁護士の森山(鈴木周)がやってくる。早速保証金のことについて話し出す森山に、早田は代理人になって欲しいという。それは退院させてくれるように病院側に掛け合う代理人だ。しかし、指一本動かせない早田にとって退院は死と同じ意味を持つ。空腹が遅い、排出できない老廃物が体の中を巡り、自分自身が作り出した毒素で、ゆっくり、そして確実に早田の体をむしばみ、1週間で死に至る。
驚いた森山は、担当医の江間博士と話をしてから返事をすると言い残し、部屋を出る。江間博士は森山に、事故の後遺症で鬱状態の患者に自分の生死を理性的に考えることはできない。死ぬと結論づけたそれがその証拠だと反論する。江間博士は精神科の土屋先生(藤川和彦)に相談し、1950年に制定された精神衛生法(1987年に精神保険法に改訂)に乗っ取り、強制的に病院に拘束する手続きを取り出す。一方森山は早田の依頼を受けることを迷っているが、早田と話をし北原と話をし、まだ迷いながらも早田の依頼を受けることにする。森山は同僚の弁護士・川路(田島康成)と相談して、外部の精神科医・馬場先生(斎藤譲)に協力を得て、早田が精神的に正常であることを証明し、人身保護請求を申請することにする。
早田の病室に三村判事(石波義人)、そして医師達、弁護士らがあつまり、裁判が始まる。判事は病院側、早田側の弁護士、医師から証言を聞き、最後に早田本人からも証言を聞き、判決を下す。早田の精神状態は正常で、正常な判断をする能力があり、病院側には彼を自由にするという命令を出した。
判決が出た後、江間博士は早田にたずねる。この後どうするのかと。早田は自分の尊厳を保ちながら静かに死ねる部屋を見つけると言う。それを聴いて江間博士は、「ここにいないか。」と提案する。「君が望むなら治療もしない。食事も与えない。」と続ける。「最後になって救命措置をとったりしないでしょうね。」と言う早田に、江間博士は「もちろん。」と答える。早田は「治療は必要ない。でもここにはいたい。」と答える。「でも何でそんなことを?」と言う問いに江間博士は、「最後に君の考えが変わるかもしれないから。」と答える。
●感想、思ったこと(ネタバレあり)
たぶんほとんどの人が、自分なら?と考えるでしょう。抗ガン剤の辛い投与が必要な癌や1リットルの涙で有名になった骨髄小脳変性症(考える能力はそのまま維持されるが、徐々に動けなくなる)のように、苦痛を伴い、やがて死に至る病気の場合は、死を選ぶ人も多いでしょう。そう言う場合は日本尊厳死協会の尊厳死に該当する。でも、早田のように死に繋がらない場合は尊厳死に該当しないそうです。それでももう年齢が70を越え、自分で「自分はよく生きた」と思うような場合は尊厳死を選ぶ人も多いかもしれません。
でも早田のように若い場合、難しい問題ですよね。考え、声を発せれば自分自身を表現できる。大変かもしれないけど映画や芝居を観てブログを書くこともできる。さすがにダイビングは無理かもしれないけど。事故直後は死を決意するかもしれないけど、半年経ったら自分だとどう決断するか、そうなってみないとわからないなぁ。
僕自身としては、江間博士に反発し、裁判を起こすことで、自分自身が生きていると実感し、今後も生きると考えをあらためてくれることを望みますが、早田の言うように自分自身が生きるためには1日何万円も必要とする。でも世界で苦しんでいる人を救うのは数百円でいいという言葉は重いなぁ。実際飢えで苦しんでいる子ども達には4,000円で1人1年間学校給食を与えることができる。(WFP国連世界食糧計画より)
話は変わりますが、病院のベッドには2種類あるのを知っていますか?通常のベッドと差額ベッドではなく、一般病床と療養病床です。(他にも精神病床、感染症病床、結核病床がありますが。)一般病床は病気や怪我で入院した場合に使われるベッドで良くなれば退院していく。一方療養病床は慢性症状などで医療の必要度が高い人が入院するベッド。早田の場合は集中治療室から上がってきて今は一般病床であるが、劇序盤で病院を移動する話が出ていたのは症状が落ち着いたので療養病床に移動するという話。療養病床は病気や怪我の治療と言うよりは日常生活ができないために介護が必要という目的に使われる。下手したら死ぬまで退院できない場合もある。
今、国は2011年までに38万床あるこの療養病床を15万床まで減らそうとしている。理由は医療費削減のためだ。早田のように事故、あるいは脳梗塞などの後遺症で動けなくなった人、特に高齢者は3~4時間の床ずれ防止に体勢を変えてあげるだけでなく、食事の時に下手をすると気管に入って肺炎を起こす危険性、その他点滴など緊急に備えた介護が必要になる。これを病院を減らして老人ホームや自宅で行わせる国の方針が良いのか。
病院の収入も減れば、ただでも人手不足の看護師や介護士を雇えなくなり、そう言った要介護者だけでなく一般の患者にも影響が出る。新しい医療器具の導入もできなくなる。この作品は、尊厳死や安楽死の問題を取り上げているだけでなく、映画シッコ同様、医療全般に対して警鐘を鳴らす作品としても見ることができる。いろいろな意味で考えさせる作品です。
ただ、考えさせられる作品ですが、早田のしゃべりが重い雰囲気の作品にならないようにしているところもすばらしい。動けない分、しゃべりと表情がとても重要になっているが、一カ所台詞を間違えた以外はとてもすばらしく演じていました。
最後に・・・。劇場の人に注意されてしまいました。後ろの人から見にくいという苦情が出ているので、浅く腰掛けてゆったり座ってくださいと。あー、そうさっ、座高が高いさ!足が短いさ!確かに今回主人公は文字通り一歩も動かないので、見えないとなると最初から最後まで全く見えないということになります。腰が弱いので姿勢崩した状態でずっといると腰が痛くなるのよね~。通路側だったので通路に座るから子供用の座布団貸してもらいに行こうとしたら、後ろの人には別の席に移ってもらったと言いに来ました。でもさあ、そんなこと言われたら気が散るじゃん。案の定後半は劇に集中できなかった。自由劇場には何度も行っているけど、そんなこと言われたのは初めてだ。
劇が面白かっただけに、後味悪く劇場を去ろうとしたら係の人に声をかけられた。お楽しみいただけましたか?まあ、文句言ってもしょうがないのでそのまま、良かったよと一言言って後にしました。まあ、話のネタになったから良いと言うことにしておこう。
観て良かった度:●●●●● |
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この記事へのコメント
考えさせられもしたけど、やっぱり注意されたことが頭に残って残って・・・。(笑)
TBありがとうございました(^^)
この劇は早田さんの視点で捉えていると思うのですが、江間博士の視点でも演られたらまた違った感想を持つような気がします。
何が答えとか正しいとかないからこそ思い巡らされる舞台ですね。
全員が早田さんのことを考えていたからこその行動で、誰が間違えというのもないので、難しい問題だと思います。だからこそああいう終わり方で良かったとほっとしました。江間博士も、弁護士も誰もがやるせない気持ちでしょうね。